●老松通り、ほんまもんの鴨なんば
「鴨がネギしょってやって来たー」 なんて言い廻しがありますよね。いかにもうまい餌食になりそうな人が、しかもわざわざ食べてくれといわんばかりにネギを担いで向こうからやってくる・・・。ありえないようなシチュエーション。
そんな「鴨ネギ」なんて言葉が生まれるくらい鴨とネギは相性ぴったり。鴨なんば、本場は大阪の「なにわ翁」で食べてきました。
「鴨がネギしょってやって来たー」 なんて言い廻しがありますよね。いかにもうまい餌食になりそうな人が、しかもわざわざ食べてくれといわんばかりにネギを担いで向こうからやってくる・・・。ありえないようなシチュエーション。
そんな「鴨ネギ」なんて言葉が生まれるくらい鴨とネギは相性ぴったり。鴨なんば、本場は大阪の「なにわ翁」で食べてきました。
今日は江戸前寿司とはちょっと違った上方寿司。デパチカでよく見かける「古市庵」もその一つ。
活きの良さを売りにする江戸前寿司とは、ノリがちょっと違います。
突然ですけど、私にはあるレストランにまつわるちょっと不思議な記憶があります。
たぶん、まだ4、5歳の頃でした。私は両親と3人、薄暗いロシア料理の店で食事をしていました。いつものようにさっさと自分の食事を終えた私は、店の中をウロチョロ探検!当時はおおらかな時代で、子供がそんなことをしても目くじら立てる人はいませんでした。
そうこうするうちに店の一番奥に急な階段を発見。で、そ~っと上ってみました。上の階は意外にも明るく目の前には西洋風の家具。と、「コツ。コツ。コツ」 ゆっくりとした靴音が聞こえてきます。現れたのは黒い髪を頭のてっぺんに巻き上げ、ウエストの細くしまった黒のロングドレスのおばあさん。おばあさんはそんな格好をしているのに、顔はどう見ても日本人。彼女はそれから家具の引き出しをすーっと開けて、中に何かをゆっくりと仕舞いこみました…。
何か怖くなった私はそのままそーっと階段を降り、狐につままれたような気持ちで食事中の両親のテーブルに戻りました。
「あのおばあさんは一体誰なんだろう…?ひょっとして、年を取ったメアリー・ポピンズかしら?うん、そうかもしれない。年を取って動けなくなって、あそこに隠れ住んでるんだわ」
くらくらした頭で今考えるとそんな荒唐無稽なことを想像していました。
さて、またまた前置きが長くなっちゃいましたけど、今回ご紹介する店は、私にとっての長年の謎の生まれたロシアンレストラン、北野坂にある「バラライカ」です。
ちなみに、この店は私の両親が婚約時代にデートによく利用し、その後結婚して私が生まれてからも家族で何回も通っていたところです。
神戸には「宮水」と呼ばれる水があります。厳密に言えば西宮のある浅い井戸から湧き出ている水です。
19世紀のこと、灘の生一本を全国的に有名ならしめた桜正宗酒造の山邑太左衛門が、魚崎郷と西宮郷の水質の違いを発見。いずれも井戸水を使い同様の手法で作ったはずの酒の味が二つの郷で全く違うことに着目したのが、「宮水」発見のきっかけでした。元々絶品と呼ばれた灘のお酒。しかし、中でも西宮郷の水で作った酒の味は格別でした。こうして「宮水」の伝説は日本中に知れ渡っていきます。
その飛び切り美味しい「宮水」だけを使って珈琲を淹れているのが「にしむら珈琲」です。今回は数ある「にしむら珈琲」のお店の中から特にとっておきの一店をご紹介します。
え!?この価格でこの素材、この本格メニュー!?しかもフルコースで!
これって、場所が違えば絶対ありえなーーい。
今日は神戸・朝霧で超人気のビストロ、マルコポーロからのレポートです。
学生時代、香川県から来ている友人がいました。スポーツウーマンですぐにお腹が空いてしまう彼女の口癖はこうでした。
「私は小麦粉と塩さえあればどこででも生きていける!」
詳しく尋ねてみると、どうやら下宿でうどんを打っているらしい!小麦粉と塩と水をビニール袋に入れて足で踏んづけて・・・。
ん?今思えば、あれぞ讃岐うどんだったんですね!
「ハラゴシラエして、歩くのだ」
広告にそう歌っていた映画「かもめ食堂」を見ました。
帰り、半端な時間だったけど小腹が空いたので、映画館の入っているビルのチープなモールで「ハラゴシラエ」しました。讃岐うどんです。これが意外にもいけました。香川人に言わせれば、きっと不合格でしょうけれど・・・・。
あなたも知らないうちに食べてるかもしれない…。今日はそんなカレーをご紹介します。業務用カレーを作って50年のMCCカレーです。
なあんだぁ業務用?なんて馬鹿にしないでくださいよ。これが美味しいんですから。レストランのカレーを自分で作っちゃえるんですよ。
遠い昔の子供の頃、私は絵を習いに行っていました。
アトリエには先生の用意した花や瓶、流木、使途不明のガラス玉、なぜか蛸壺(?)・・・・ま、そんなものが絵のモデルとして用意されていました。
で、その先生がいつも言っていたことがあります。
「よく見てご覧、あの蛸壺はザラザラやな。だからザラザラ、ザラザラ、ザラザラ・・・って言いながら描くんや。このガラスはツルツルやろ。そしたら、ツルツル、ツルツル、ツルツルって言いながら描くとええんや・・・・」
そして言われたとおりにザラザラとかツルツルとか言いながら描くと、それが不思議と存在感のあるいい絵になったものでした。
何でそんな絵の話がお好み焼きと関係あるのかって?ここねぎ作に来ればわかります。
ここのネギ焼きの思いっきり美味しい理由は、このザラザラ、ザラザラ、ツルツル、ツルツルと同じ心なんです。
まあ、こう言ってもわかんないでしょうからちょっとご一緒に中に入りましょう。
やっと涼しくなった夕暮れ。見上げた六甲山系に錨のマークと神戸の市章の灯がともる。
ご存知でした?この錨のマークが今日みたいにマリンブルーに輝く日は神戸市に何かいいことのあった日。でなければ外国航路の客船が港に入っている日だってこと・・・・。ん?じゃあ、今日・・・何があったの?
六甲山系は100年以上前は茶色いだけの見苦しい岩山だったそうです。だからみんなで樹を植えました。1903年明治天皇の行幸のときには松の木でこの山に錨を描き、その4年後はとなりの山に市章を描きました。今ではそれがライトになっています。地図の上でも左は「錨山」、右は「市章山」。ちゃんと正式な地名として載ってるんですよ。
その手前に、なんだかヘナヘナ~~と力が抜けそうな文字・・・。「ぎょ・・・う、ざ・・ぁ」。今にも倒れそうな人の口から漏れた言葉のような字です。しかしここはかの有名な「瓢たん」。
ぎょうざ一筋ウン十年。ぎょうざしか出しません。ご飯さえ出ません。あくまでもぎょうざだけです。さあ、ご一緒にちらっとだけのぞいてみましょう。
神戸っ子なら誰でも知っている、石屋川沿いのレトロモダンな洋食レストラン。でも、絶対一度は行ってみたいと思いながら、結局なかなか行く機会がない。御影公会堂食堂は、何だかそんな場所です。そもそもこんな古い建物の中にレストランがあるなんて一見してはわかりません。建築家にとってはきっと必見の戦前からの名建築物。その地下で、御影公会堂食堂は毎日元気に営業中です。それも行列ができるほどに。もしあなたがジブリファンなら、映画「火垂るの墓」で見覚えのある場所。
今日はそんなレトロな洋食店からのレポートです。
私が麗しの(?)女子大生だったある日(あ~、もうなーんて遠い昔…)、阪急岡本駅のホームにこんな看板が登場しました。白地にネイビーブルーの文字で一言。
「ケーニヒスクローネのクローネは、パンなのかパイなのか?パイなのかパンなのか?」・・・・そしてクマのイラスト。
ケーニヒスクローネとはなんなのか。人の名前か。クローネとは?で、それは結局パンなの?パイなの?
毎日、こうした疑問が頭の片隅に忍び込んできては忘れられ、また忍び込む。そんな日々を送っていたとある日、知人からの贈り物が届きました。箱には「ケーニヒスクローネ」の文字。そしてクマのイラスト。
その棒状のパイを食べたときの驚きはいまだに忘れられません。「世の中にはこんなに美味しいものがあるんだーー」
梅雨に入ったはずなのに今日も神戸は真夏日です。
涼やかな夏のお菓子を求めて近所の和菓子屋さんに立ち寄ってみました。神戸・熊内 京菓子の「つるや」さんです。
「つるや」さんは大正8年創業。
京都の和菓子屋さんに言わせれば「まだ、ややこやおすな~」(標準語訳:まだ赤ちゃんね)ということになるかもしれません。しかしその静かで落ち着いたたたずまいは都会の喧騒の中、ほっと潤いを与えてくれる場所でもあります。
※ところで、やっと写真のポップアップをマスターしました。どこにあるか探してみてくださいね。
私がまだ高校生のころのことです。朝7時半ごろ電車に乗るため阪急岡本駅に急いでいると、いつも薪を割っているおじさんがいました。古い木造の家の横。隣の家との狭い隙間で、しゃがみこんでフキゲンそうに手斧で薪を割っているのです。(いえ、私が勝手にフキゲンそうと感じただけかもしれませんけど・・・)
何で薪なんて割ってるのかな。薪風呂?まさかね、こんな街なかで。しかも朝から・・・・。
そして夕方。その家の土間に置かれた机では、おばあちゃんが怒ったみたいな顔をして頬づえを付き古いテレビを見ていました。それもブラウン管に顔を20センチくらい近づけて。
パン屋さんのようではあるのですが、その時間帯はもうほとんどパンはありません。おかしな店でしょう。
ところがこれこそが、知る人ぞ知る「フロイン堂」その店だったのです。
「おじさんの集うところ、旨いものあり」
突然ですが、私はそうにらんでいます。で、たいてい当たります。今回のその場所は神戸は御影公会堂の西隣、「もっこす 石屋川店」です。
ただしここで美味しいラーメンを食べるには、ちょっとしたコツがいります。以前「もっこす」で「ありゃ?」とか「あの~」とか思った方、このレポ、よく注意して最後までお読み下さいませ(コツは中盤あたりに書いてま~す)。
さっき食べたばかりなのに、しばらくするとまたすぐ無性に食べたくなってしまう。そんなカレーに出会ってしまいました。
仕事に集中していてもふとした拍子に思い出しちゃう、あの味、あの香り…。うーん、これがいわゆる病み付きってやつなんでしょうか。
遭遇の場所は、デパチカならぬオフィチカ(オフィスビルの地下)。神戸そごうの南隣にある神戸国際会館B2Fの「MOTHER MOON CAFE」です。病みつきカレーの正式名称は「ドラゴンカリー」。
↓これです。
「今帰ったよ、スウィートハート。今日は君にコスモポリタンのチョコレート買ってきたんだ。ホラ、これ、君のお気に入りだろ?」
もしあなたのダーリンが会社から帰るなりこう言ったとしたらどうしますか?
反応A:「あなた!大丈夫?ちょっと誰か体温計持ってきて!お父さんが変なのよ。まあ大変、救急車呼んで、救急車!!」と慌てる。
反応B:「今日はどんな失敗やらかしたの!さあ白状しなさい」と腰に手を当てて目を三角にする。
ノン、ノン、ノン、マダーム。(このセリフ、名探偵ポワロの口調でノーブルに言いませう)
愛するダーリンからのプレゼントなんだから、ここは素直に信じてあげましょう。なんてったって、これ知らなきゃ神戸っ子とは言えないくらい有名な、あの「コスポリ」のチョコレート買ってきてくれたんですから。
マイパパによると、昔は旧居留地にお勤めのお父さんたちがトア・ロードを通って北野や熊内や青谷の山手の我が家に帰る途中、愛する奥さんのためにモロゾフ親子の店でチョコレートを買って帰ったものだった(語り:田口トモロヲ風に)、とのこと。ロシア革命を逃れて神戸にやってきたモロゾフ一族がチョコレート店をトア・ロードに開いた1926年頃のお話です(だからマイパパだってもちろん聞きかじり)。
世界中から人と食文化の集まる街、神戸。さまざまな国の人々が独自のコミュニティーを築きつつ、適度な距離を保って平和に暮らしています。しかしその神戸の多彩な食文化といえども培われてせいぜい100年。
一方で、独自の輝きを放つ食文化を生み出す場所というものがあります。それは50年100年で培われたものではありません。気候風土と歴史が、数百年もの長い年月をかけて奇跡的とも言える仕方で生み出したものでもあるのです。
今日は私の秘密の隠れ家、加賀百万石、金沢からのレポートです。
その昔、とある田舎町を車で走っているとバルーンのような大きなタコの頭を屋根にくっつけた建物がありました。しかも4匹も!もっと近づくとそのタコはニュワニュワと足を伸ばし建物の淵をつかんでいることがわかってきました。
建物の壁にはこれ以上はないほどの大きな字で「大阪たこ焼き」!!(ここのどこが大阪やねん?)
で、そのすぐ反対側の壁にはまたまたデカデカと「東京たこ焼き」!!!!(あのなあ…。)
そんな記憶のためです。数年前、広島で「神戸コロッケ」なるものを見かけたとき「こんなの神戸には、ない!」と広島人に言ってしまいました。言った相手が誰だったのか忘れちゃったんですけど・・・あれ、マチガイです・・・。ちゃんとありました。しかも今やデパチカ(神戸そごう)にも出店の超人気店になってました。しゅんましぇーん。
ほーら、こ~~~んなコロッケを作ってる、一生懸命で真面目なコロッケ屋さんだったんです。
昔むかし、私が少々文学少女を気取っていた頃のこと(あ~こっぱずかし~!)。何気に読んだドストエフスキーの小説の一文に「カツレツのような頬髭の男」(!)という下りがありました。
「カツレツのような頬髭」
いったいどんな髭なんですかね。ロシア人なんだから、当然髭の色もこんがりキツネ色なんでしょうね。左右のほっぺにハの字型にカツレツくっつけた男。
題名もストーリーもまったく覚えてません。ただ覚えているのは、その時何だか猛烈にカツレツが食べたくなったということです。
そして今、文学少女時代からウン十年を経て「神戸開花亭」にカツレツを食べに足繁く私が通うのはその「カツレツのような頬髭の男」のせいでもあるのではないかと、まあ思うわけです。
で、これがその髭、じゃなくてカツレツです。ただしこれはロシアではなく「ウィーン風ポークカツレツ」。
しかし、この髭・・・じゃなくて(><)このカツレツほどワタクシのイメージするドストエフスキーの描いた男の「カツレツのような頬髭」にピッタリとくるカツレツはないんですよね。