●凝り性が高じて生まれたパン屋「フロイン堂」
私がまだ高校生のころのことです。朝7時半ごろ電車に乗るため阪急岡本駅に急いでいると、いつも薪を割っているおじさんがいました。古い木造の家の横。隣の家との狭い隙間で、しゃがみこんでフキゲンそうに手斧で薪を割っているのです。(いえ、私が勝手にフキゲンそうと感じただけかもしれませんけど・・・)
何で薪なんて割ってるのかな。薪風呂?まさかね、こんな街なかで。しかも朝から・・・・。
そして夕方。その家の土間に置かれた机では、おばあちゃんが怒ったみたいな顔をして頬づえを付き古いテレビを見ていました。それもブラウン管に顔を20センチくらい近づけて。
パン屋さんのようではあるのですが、その時間帯はもうほとんどパンはありません。おかしな店でしょう。
ところがこれこそが、知る人ぞ知る「フロイン堂」その店だったのです。
これがその「フロイン堂」です。震災後改築したみたいですが当時とほとんど雰囲気は変わっていません。昔NHKで神戸のパン屋さん「フロインドリーブ」をモデルにした「風見鶏」という朝の連続テレビ小説がありました。この店は昭和7年にその「フロインドリーブ」からのれん分けされたのですが、その一代目が凝り性で独自にドイツ式のレンガ窯を作ってしまったそうなのです。
戦後店の名前も「フロイン堂」と改め、空襲にも耐えたレンガ窯に薪をくべ現在に至っています。
私が毎朝見ていた薪を割るおじさんは、実は35歳までサラリーマンをしておられたという2代目のご主人だったんですね。今は3代目の息子さんが中心になってもっと、もっと、美味しいパンを作ろうとしておられます。これ以上美味しいパンって、私なんかには想像できないんですけれど・・・。3代目さん、血は争えませんね。
いつどんなパンが焼きあがるか書かれたお知らせボードです。これを見て客は予約を取り、再び出来上がりの時間にパンを買いに行きます。
この日は焼きあがり時間の変更のお知らせでした。前に書いた文字を消すのもモドカシイって感じで大急ぎで書かれています。客にとっては重要なお知らせですが、こんなこと書いてるヒマないんだ、早くパン作りに戻らせてくれ、と言っている声がこの書き方から聞こえてきそうな気がします。
これはもう予約済みのパン。奥の木の棚で、お迎えが来るのを待っています。予約からあぶれたおかげで商品棚に置いてあるパンは、私が行ったときすでに残りわずか4つ。
あ~あ、仕方がないので古い柱に貼られた山食パンの写真でも撮るか・・・。この干からびたセロハンテープ、味がありますねー。(セロハンテープ、横に貼るのか縦に貼るのか上下で統一されてないのも気になります・・・・細かいことですけど)
パンはこの奥で作っています。単なる古びた台所と風呂場に見えますが、違うんですよ。奥は風呂場ではありません。ちゃんとステンレスのボールが見えるでしょ。山食パンは機械で練ると味が出ない、と手でこねておられるんです。信じられますか?毎日薪を割って150本分の山食パンの生地を手でこねて・・・・・。今どきそんなきつい仕事を望んでする人ってどれくらいいるんでしょうね。
ホントはレンガの釜を見せていただきたかったんですけれども、なんだかあの薪を割っておられたおじさんの顔を思い出すとちょっと突然お願いするの、気が引けちゃいました。そこで、店にあった絵で我慢してください。
「フロイン堂のパン焼き釜」と言う題で武田欣也さんと言う方が豊中市美術展の市長賞を受けられた絵でした。でも次回は何とか勇気を出してレンガ釜の写真を撮らせていただけるよう交渉してみます。
残っていたパンはたった4つでしたが、その中からこんなとんでもない掘り出し物を見つけてしまいました。ライ麦パンです。本格的なライ麦パンはとても酸っぱいので、どこの店でもあまり置いていません。あまり人気が出ないみたいです。ライ麦パンもどきなら時々見かけますけれども・・・・。
ところが私はこれが大好物なんです。ヘンな味覚してるって言われそうですけれど。
「フロイン堂」のライ麦パンは今回私にとって初めてです。これくらいの薄さに切ってチーズを挟んで甘い白ワインと一緒に食べるといいのですが・・・・、ライ麦の味を求めてこのまま食べてみます。
これにはウソ偽りなくビックリしました。酸っぱいだけではないんです。後からじんわり苦いんです。まるでベルギービールを室温でちびちび飲んでいるような味です。これは一般受けはしないかもしれませんが、好きな人は好きでしょうね~。ニコニコ笑顔で食べるパンでは決してありません。う~~む、と渋い顔をしてしみじみと堪能する種類のパンです。ちなみにブツブツ見えているのはひまわりの種です。
ところがこれにチーズを乗せると事態は一変します。酸っぱさと苦味にチーズのコクが加わり味が突然立体化するのです。(うーー分かりにくいかな) じゃあ例えでいきます。一流の豆だけど酸味が強くてストレートで飲めないコーヒーがあるとしましょう。そこにクリームを注ぐとどうなりますか?コクのあるコーヒーや苦味中心のコーヒーにクリームを入れるのとは比べものにならないほど美味しいはずです。
もう、美味しすぎてライ麦パン&チーズむさぼるように食べちゃいました。
ただしこのパンを置いている場所から半径一メートルは、酢とビールを混ぜたような独特の匂いに満たされます。
さてお次はみんな大好き天然酵母の胡桃パンと行きましょうか。
表面はしっかりしていますがそれをイイ感じに噛み切れば、中はふわっ。堅い皮をしっかり噛み締めるので麦の味がはっきりとわかります。それを味わわせるためなのか、胡桃は少なめです。そのほうがイイ、と食べてみて思いました。
これは胡桃とレーズンがワンサカ入って楽しい気分になってしまう田舎パン。
レーズンは酵母で発酵させてあるのか色が薄くなって2倍位に膨れあがっています。粗く割っただけの胡桃もザックザック。生地は外も中も堅くて、ひきの少ないタイプです。
昔、この路地でおじさんは薪を割っていました。こんな広くなかったと思います。震災後となりの家がセットバックしたのかもしれません。もちろんエアコンの室外機なんてなかったはずですよ。
おばあちゃんがいつもテレビを見ていた机。
いつだったかここにテレビ局の取材が来たことがあります。でもおばあちゃん知らん顔でいつものようにテレビを見ていました。困ったリポーターのコメディアンは何とかおばあちゃんの気を引こうと「おばあちゃんテレビちょっと汚れてますよ」とハンカチで画面を拭いたのです。そのとたん「あんた何すんねや」とおばあちゃん怒りました。私は偶然テレビでそれを見ていて大笑いしたんですけれど・・・。
今はそのテレビも取り払われています。店番も若い女の子でした。シャッターを押すときなんだか、チリッと涙が出そうになりました。
今日は最後にちょっと感傷的になってしまった、神戸は東灘区岡本の「フロイン堂」からのレポートでした。
早坂